2件中、1~2件目を表示中
河内長野市は、1954年に長野町を含む6町村が合併して誕生しました。市の中心部は「長野」という呼称、南部の山麓地域は「奥河内」という名称で呼ばれています。国宝・重要文化財が多数存在していて、その多さは全国の市町村の中でも12番目と言われています。大阪市の都心難波まで約40分というアクセスですが、同時に大自然を満喫できるため、市内にはニュータウンが造成されています。森林資源も豊富なことから、それを生かした爪楊枝の生産も盛んで、国内生産量約95%を占めることもありました。また、2000年代中盤以降、犯罪発生率は府内33市の中でも最も低く、週刊東洋経済が発行する「安全・安心な街ランキング」では、府内第1位にランクインしています。南河内郡は「太子町」「河南町」「千早赤阪村」の2町1村で構成されています。太子町には、「梅鉢御陵」と呼ばれる5つの古墳があります。天皇陵の数は羽曳野市とならんで府内最多となっています。河南町には、「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」と呼ばれる史跡公園があります。国の指定史跡「一須賀古墳群」が保存されており、現地では内部の見学も可能です。千早赤坂村は、府内唯一の村であり、最も人口が少ない自治体です。林業や農業が盛んで、花やしいたけの栽培がされています。
総合病院とは、2つ以上の診療科があり、かつ病床が20以上ある医療機関のことです。対してクリニック、医院、診療所は法律上の分類上すべて「診療所」の位置づけとなり、病床は19以下の医療機関のことを言います。総合病院は受け入れられる患者数が多いため、スタッフも大勢勤務しているところが特徴的です。そのため分業制で仕事が行われることが多いです。一方、診療所はスタッフも少数で、マルチに仕事をしている方が多いです。初診や普段の診察などは地域の診療所の「かかりつけ医」と呼ばれるような医者に診てもらい、総合病院での治療のほうが適切だとされた場合には紹介状を書いてもらい、総合病院での診察へ進むという流れが一般的です。総合病院の中には、「救急指定病院」「回復期リハビリテーション病棟」など、より詳細な指定区分があります。診療所での診察で適切な診断を得たのちに、自分の病状に合った総合病院を紹介してもらうことがスムーズな治療に効果的だという考え方が広まっています。